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東京都立大学オープンユニバーシティ

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【2011T004】 続・幕末の天皇

開講中止

実施日 2020/05/20 ~ 2020/06/10 曜日
時間 19:00~20:30 定員 25名
キャンパス 飯田橋キャンパス 教室
受講料
10,100円 単位 1 単位

講座の説明

【講座日程訂正のお知らせ】
本講座につきまして、以下のとおり紙のパンフレットの日程に誤りがございましたので、お詫びして訂正いたします。ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございません。
(誤)2月3、10日 → (正) 6月3、10日
※ホームページ及びデジタルパンフレットにつきましては、訂正後の日程となっております。


前回、18世紀末に始まる天皇権威の回復、朝廷と幕府の関係の変化を取り上げ、光格天皇の切り開いた天皇権威の上昇が、幕末において天皇が政治の焦点に浮上する契機となり、明治維新を経て近代天皇制を生みだす要因のひとつになったことを説明しました。今回は、幕末の政治のなかで天皇と朝廷勢力が果たした役割と意義を具体的に考えていきます。
まず孝明天皇の父である仁孝天皇から始め、ついで孝明天皇の時期を、①日米和親条約締結前後の時期、②日米修好通商条約調印問題の時期、③文久3年(1863)8月18日政変以降、急死するまでの時期、の3段階に分けて、天皇・朝廷勢力と幕末政治過程との関係をみてみます。

講座スケジュール

実施日 講座内容 担当講師
1 2020/05/20(水) 仁孝天皇の時期
仁孝天皇(1800~1846)は、1817年(文化14)に光格天皇の譲位により18歳で皇位につき、1846年(弘化3)に47歳で死去した。幼少時から虚弱で視力も弱かったため、朝廷の儀礼に出御することも少なく、朝廷政務は父光格上皇の援助を仰ぎました。御前に公家を招き、『日本書紀』から『続日本後記』、『資治通鑑』などの勉強会を定期的に開いて学問を奨励し、その死の翌年1847年3月、朝廷に学問所(学習所、学習院)が開校されました。
藤田 覚
2 2020/05/27(水) 日米和親条約の締結
孝明天皇が16歳で践祚した前後、イギリスやフランス軍艦の長崎来航、オランダ国王の開国勧告など、緊迫する対外情勢をうけて朝廷は1846年8月、幕府に海防強化を命じる勅書を出し、対外政策に介入し始めた。1853年(嘉永6)にペリーが来航し、幕府は諸大名らに意見を問い、それを踏まえ翌年日米和親条約を結びました。朝廷は条約締結を事後承認したが、大名らに幕政へ発言する道が開かれ、幕藩関係も変化し始めたのです。
藤田 覚
3 2020/06/03(水) 日米修好通商条約勅許問題
和親条約にもとづき下田に駐在したアメリカ総領事ハリスは、通商条約を要求し、幕府は貿易により富国強兵を図る方針で条約締結を進めました。幕府は、諸大名の意見を踏まえ、天皇権威を利用し反論を抑えるため、老中を京都に送り朝廷に勅許を求めました。しかし、孝明天皇は鎖国攘夷を主張し、中下層公家らの強硬な反対運動により幕府は勅許に失敗したのです。
藤田 覚
4 2020/06/10(水) 8月18日政変から孝明天皇死去
幕府は通商条約に調印した結果、朝廷と幕府の意見が分かれ国論は分裂。
鎖国に復帰するため攘夷か、開国和親かを巡り激しい政治闘争が繰り広げられ、ともに尊王を競って天皇を自らの陣営に取り込もうとしたのです。鎖国攘夷派が天皇を戴き、幕府に攘夷戦争の実行を迫りました。天皇の意思を越えて攘夷戦争実行が迫ったが、文久3年8月18日、天皇は薩摩藩・会津藩などと連携し、長州藩を中心とする鎖国攘夷勢力を京都から追放しました。しかし、天皇を支えた勢力を追放した結果、孝明天皇の力は急速に低下していったのです。
藤田 覚

備考

【講座日程訂正のお知らせ】
本講座につきまして、以下のとおり紙のパンフレットの日程に誤りがございましたので、お詫びして訂正いたします。ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございません。
(誤)2月3、10日 → (正) 6月3、10日
※ホームページ及びデジタルパンフレットにつきましては、訂正後の日程となっております。

講師

藤田 覚(ふじた さとる)
東京大学名誉教授

【プロフィール】
東京大学史料編纂所教授、同大学院人文社会系研究科教授を経て、現在は東京大学名誉教授。専攻は日本近世史。『近世後期政治史と対外関係(東京大学出版会)』で角川源義賞受賞。主な著作として『幕末から維新へ(岩波書店)』『勘定奉行の江戸時代(ちくま新書)』『幕末の天皇(講談社選書)』『泰平のしくみ 江戸の行政と社会(岩波書店)』、2018年7月に『光格天皇(ミネルヴァ日本評伝選)』を上梓。

藤田 覚

開講中止

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